『鬼人幻燈抄 葛野編 水泡の日々』中西モトオ 読了
本日二つ目の投稿は『鬼人幻燈抄』です。
この本は、最初新聞の広告で最新刊のイラストとあらすじを見て、面白そうだなと思っていたところで、読書垢でも時々見かけていたので、物は試しと思っても購入しました。
最初はWeb発の小説、ということもあり、ラノベ系の延長ファンタジーかな?と思っていましたが、読み終わった今この感想を言うことはとても失礼です。
いい意味で期待を裏切ってきました。
僕の中で、和風ファンタジーと銘打つ以上、守らなくてはいけない鉄則があります。
それは、『日本独自の宗教観』です。
まず日本には古来からの信仰がありますし、その後大陸から伝わってきた仏教、現代においてもキリスト教の文化がちらほらと取り入れられています。
しかし、日本人の根っこにある信仰は『精霊信仰』と言われるものです。現代人においては、これは『精霊信仰』から来ているものだ、と言わないと分からない人もいるくらい、日常生活に溶け込んでいるものになっています。
なので、日本の中でどの時代でもいいです、その信仰が描かれていないと『和風ファンタジー』と名乗ってはいけないと思っています。
まあ、あくまで一個人の意見ですけどね……。
前置きが長くなってしまいましたが、話は本に戻ります。
前述の通り、和風ファンタジーに対してのハードルが僕の中では結構高めなのですが、この作品はその点においても、その他の点でも文句なしの良作です。
どのくらいよかったか、というと、読み終えた翌日に続きを買いに本屋さんに行ったくらいです。
どう言ったらいいのでしょうか、凄く悲しい気持ちになる物語でした。
どの物語でも言えることですが、どこかで運命の歯車が噛み合わさった時、平穏な日々は音を立てて崩れます。
それとどう対峙していくかが物語の面白さ、という事になりますが、この物語はそれぞれがそれぞれの幸せを願ったばかりに平穏な日々は崩れ去ってしまったので、凄く悲しいのです。
幸せを願う気持ちはみんな同じだったはずなのに、それがすれ違って、道を違える、それが人というもの。
その描き方がこの作品の中で好きなところです。
この作品もですが、どうも最近表紙買いしてしまう傾向にありがちです。
アニメのキャラクターみたいなのが表紙に描かれているよりも、美しい風景のようなものが描かれていて、カバーを印刷している紙が、少し変わっているものが好きです。
普通のツルツルしているカバーよりも、少しザラザラとした和紙のようなものが好きなんですよね、読みながら手触りを楽しんでいます。
なので、毎年夏に新潮文庫さんから出ている、プレミアムカバーシリーズを細々と買い集めています。
この中だと、檸檬の表紙がお気に入りです。
この、もう檸檬としか言いようのない黄色が、この本らしくてこのシリーズでは一番好きな本です。
ちょっとした蛇足トークでした、今年はなんの本が出るのかな?
しばらくの間、一日に2つ投稿しようと思っておりますので、1つ前の記事も読んでいただけると嬉しいです。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
また明日お会いしましょう。