怜士の本棚

不定期に読んだ本の記録や、感想を載せていきます。ファンタジーやミステリー系が多いです。たまに、日記のようなものを書きます。

『コンビニたそがれ堂 神無月のころ』村山早紀 読了

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今日は僕が好きなシリーズの一つである『コンビニたそがれ堂』です。

『神無月のころ』はシリーズ5作目にあたります。

 

『コンビニたそがれ堂』シリーズとは。

風早の街の商店街のどこかの角に、黄昏時にだけ現れる不思議なコンビニ。

そのコンビニには、世界中のどんなものでも売ってあり、大事なものが見つかる場所。

美味しそうな食べ物から、今はもう手に入らないものまで、そしてこの世にはないものも売ってあるようです。

そのコンビニには一人の青年の姿をした店主と、黒髪の少女の姿をしたアルバイトの店員が、今日もお客様を待っています。

 

僕が初めてこのシリーズを知ったのは、高校生の頃で、1巻にあたる『コンビニたそがれ堂』ではなく、『コンビニたそがれ堂 セレクション』としてハードカバーで売られているものでした。

この物語は基本的には一話完結型の短編集みたいなもので、物語の中で共通しているのは『コンビニたそがれ堂で探し物を探す』というところですが、その探し物も探しているものがそのままそこにあるわけではなく、少し違うものが置かれていますが、実はそれが本当に探していたものだったというオチもあります。

 

このシリーズは村山早紀作品の中でも、息が長く続いて多くのファンに愛されている作品だと思います。

『桜風堂ものがたり』関連の書籍が、寒さに震えて起きてきた幼い日の頃に母に抱きしめられた暖かさだとするなら、『コンビニたそがれ堂』は雪解けの春のように心の中をくすぐる優しさの暖かさを持っている作品です。

なんというか読んでいて、暖かくて、優しくて、幸せでふふっと笑える作品です。

 

この本の中で1番好きなお話は『』です。

僕にも小さい頃によく遊びに行った遊園地、とまでは言えるかわからないのですが、恐らく一番行ったことがあるであろう遊園地、というものはあります。いや、ありました、です。

その遊園地はもう、跡形もなく解体されてしまいましたので。

作中に登場する遊園地は、今でも地下にあった施設は残されているのですが、僕が知っている遊園地はもう跡形もなくなって、再び人々を集める場所になるのを待っている状態です。

だからなんというか、大切な思い出の場所だけれども、その場所にもう一度行くのは、夢の中でしか叶わないという悲しさは何となくわかるつもりでいます。ただ、僕にはそれを約束した友達はいませんが。

 

僕は現代っ子なので、近所の見ず知らずの赤の他人と話が合って、家におじゃまさせてもらう、という描写も中々新鮮でした。

僕の子供の頃が、ギリギリ緩かったぐらいでしょうか、今はもう、どこの家も扉を閉ざしてしまって、とてもそんなことはできないような気がします。

子供の頃は近所にうさぎを沢山飼っている老夫婦の家があって、よくそこで遊ばせてもらっていたものです。

 

こういった日常の生活+ファンタジー要素、というのがローファンタジーにあたるものでしょうか。

ローファンタジーの中でも、こういったちょっとした不思議、というようなお話が僕は大好きです。

 

実はこのブログ、結構書き溜めしてあって、この記事の更新は3月21日ですが、書いているのは19日です。

そのため、読了してから少し時間が空いて記事が更新されることになるのですが、その間にもいくつか本を読み進めています。

なので、この文を書いている時には本屋大賞の記事の中に出てきた『medium』を読み終えていて、その感想を先に書いてしまおうかこれを書き終えるか悩みながら書いています。

でも実際は、この次に書く予定だった本と順番を入れ替えて書いています、どうしても『medium』は感想をここに吐き出してしまわないと自分が破裂しちゃいそうで。

 

本日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

実はTwitterで読書垢を開設しました。

ここでは詳細に感想を述べることはありませんが、読了したばかりの新鮮な言葉や、本が好きな方と交流できたらいいなぁ、と考えております。よろしくお願いします。

ではまた明日お会いしましょう。