怜士の本棚

不定期に読んだ本の記録や、感想を載せていきます。ファンタジーやミステリー系が多いです。たまに、日記のようなものを書きます。

『くちびるに歌を』中田永一 読了

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先日『線は、僕を描く』を読んだ影響もあって、久々に青春系の小説も読んでみようかなと思い、引っ張り出してきました。

写真をじっくり見るとわかるのですが、僕が持っている本の中で一番何度も読み返している本なので表紙の端が所々擦れています。

と言っても一番読んでいたのは、中高の頃でしたが。

 

くちびるに歌を』は、中学3年生の二人の主人公・桑原サトルと仲村ナズナの語りが基本となって物語は進んでいきます。

舞台は五島列島のとある島にある中学校の合唱部。合唱部の顧問である松山ハルコ先生が産休に入るため、臨時の教師として柏木ユリが中学校にやって来るところから始まります。

合唱部の夏の大会、と言われるものはNHK全国学校音楽コンクール(通称・Nコン)と呼ばれるもの。

その大会を目標として合唱を作り上げていく中で、思春期である生徒たちの様々な感情が描かれています。

 

正直内容としては、スポ根ではありませんが、典型的な青春小説とはなんら変わりはないと思っています。

しかし、中学3年生、15歳という、人生の中で必ず誰しもがやってくる大きな転換点を生き生きと描いている事がこの作品の魅力です。

 

アンジェラ・アキさん作曲の『手紙〜拝啓十五の君へ〜』という曲をご存知でしょうか。

この曲は実際の2008年開催のNコンの為に書き下ろされた曲ですが、15歳という最も多感な時期に自分の行き先に悩む『僕』と、大人になった『僕』が当時15歳の僕に返答を送るという歌詞の曲で、共感を覚えた方も多いのではないでしょうか。

この物語のNコンでも、この曲が課題曲として登場しています。

部活のこと、人間関係のこと、親との関係のこと、様々な事に悩む彼らは、この課題曲にならって、15年後の自分へと手紙を書きます、あなたは何をしていますか。

現実的に言ってしまえば、未来の自分から手紙が届くことはありません、自分の手で道を切り開くしかないのですが、それでも構わない、当時の僕はこんなことを考え、生きてきました。

そうやって青春を過ごす彼らの姿が眩しくて、甘酸っぱい、読んだ当初は、ただ自分と変わらぬ年齢の子達の物語だと思ってましたが、15歳から5年経つだけで、なんだか愛おしく思える物語になってしまいました。

これ、30歳になった時の自分が読むと、それこそどう思うのでしょうか。

 

この物語は映画化もされています。

僕も見た事があるのですが、ラストシーンで、訳もわからずボロボロと泣いてしまいました。

別れが悲しかった、というより、美しさに泣いてしまった、という方が近いのでしょうか、ひたむきに頑張り続ける彼らの姿が眩しくて眩しくて。

これ、ほんとにもっと大人になった時に見たら、ずっと泣き続けるんじゃないでしょうか…。

 

青春に限らず、ひたむきに何かに取り組む姿は、誰であろうと美しいものです。

去年の春に、少しご縁があって春のセンバツで応援する機会をいただきました。

甲子園、のいえばやはり夏の大会が注目されがちですが、全国から選ばれた高校球児たちが、優勝を目指して頑張り続ける姿は、何とも言い難い美しさというものがありました。

また、僕は応援側だったのですが、初めて出場校の生徒たちに混じって応援をしたので、その力強さに圧倒されました。

その時になって初めて、「青春とはこういうものなのか」と、実感することが出来ました。

正直に言うと、自分が高校生だった頃は、ただひたすら走っていただけだったので、これが青春か、と思う暇はなかったのです。

 

さて、最後にちょっと余談です。

この作品の舞台は五島列島、そしてその五島列島には世界遺産長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』があります。

また、『くちびるに歌を』以外で、遠藤周作さんの『沈黙』、桑原水菜さんの『遺跡発掘師は笑わない まだれいなの十字架』で潜伏キリシタンのお話などを読んだ影響があって、それ関連の観光を絶対に行きたいと思っています。

それに、なんとも不思議なもので、僕の御先祖様はとある藩の武士だったのですが、島原の乱において、鎮圧のために参加をしています。

その影響もあって、いつか行きたい、ではなく、絶対に行く、と心に決めています。

それに、普通に長崎を観光したいですしね、美味しいものも食べたいし。

 

僕にしては珍しく、青春小説にあたるであろうジャンルを2日続けて感想を書いてみました。

たまに読む分には凄くいいのですが、恋愛がメインとして描かれているものはどうも苦手なんですよね、あくまで主体は別のテーマで、恋愛は調味料みたいな感じで。

それ故に、中々見極めるのが大変で、あまり手を出していないジャンルであります。

今読んでいる本に飽きたら、少し冒険してみようかな。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

また明日お会いしましょう。

『線は、僕を描く』砥上裕將 読了

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この本は、芸術を愛する全ての人に読んで欲しい。

かつて、自分に足りないものがあるがそれが何かわからず、苦しんだ事の答えが、この本には描かれている。

 

主人公・青山霜介は、17歳の時、両親を事故で亡くした。

その直後は、「自分が頑張らなくちゃ」という意思だけで、他人には明るく振舞っていた。

しかし限界が来た。彼は外の世界を拒否し、自らの世界へとこもってしまった。

そんな中、アルバイトとして訪れた展示会場で、水墨画の巨匠・篠田湖山と出会う。

紆余曲折あって、内弟子にされてしまった霜介、そしてなぜか湖山の孫・千瑛と勝負をする事となった。

初めて体験する水墨画の世界に、やがて霜介は外の世界へと目を向けることとなった。

 

作中で、霜介は初心者ではあるが、技量に関してはある程度は申し分ない、と湖山に告げられます。

しかし、技量はあってもそれより先にあるものが掴めず、水墨画として描くことが出来ない、という壁にぶち当たります。それは、姉弟子の千瑛や、もう1人の兄弟子・斉藤湖栖も同様でした。

その事を湖山に告げると、ただ一言、「花に教えを請え」とだけ。

そして霜介は、課題である菊の花に声をかけ、じっと見つめ、菊の命に問いかける。

その瞬間、菊は美しく命をもったものとなり、その姿をとどめておくように、画仙紙へと写し取る。

その作品は、命を描いた作品。技量だけがあっても描けない作品でした。

 

なぜ僕がこの作品をこんなにも気に入っているかというと、種類は違えど同じ芸術を愛するものだからです。

僕の場合は水墨画、なんて大それたものではなく、ただの吹奏楽部の一部員です。

中高大、と続けていったので楽器や音楽が好きであることには変わりはないのですが、どうもコンクールだけは大嫌いでした。

ただ単にコンクール前は練習が厳しくなるから、とかいう理由ではありません。コンクールだろうと演奏会だろうと、正直練習量は変わりません。1曲にかける時間が多いか少ないかの違いです。

ずっとそれが疑問に思っていたのですが、この本を読んだことで、「ああ、こういう事だったんだ」と納得することが出来ました。

コンクールで、上手い学校の演奏を右にならえで真似をすることや、パート内で誰も飛び出すものがいないよう揃えることが嫌だったのです。

まあ、多分屁理屈だろ、と捉えられるかもしれませんが、その2つの中でもパート内で揃える、という事がただただ苦痛でした。

特に高校生の頃、僕の所属していたパートは人数もそこそこ多く、それぞれの人間が個性が強いということもあり、音の質を揃えろと言われていたのがかなり大変でした。

例えば、トップで吹く人が柔らかい音質で吹けばそれに揃え、固い音で吹けばそれに揃える、という話です。

コンクールで演奏をする以上、音質を揃えて一本の音にしなくてはならないのですが、それが個性を押し潰されているように感じて仕方がなかったです。

その代わり、曲の中でソロを貰って、指揮者の横で演奏をする時はなんとも言えぬ爽快感がありました。

楽団の中にいれば、僕は楽団を構成する一部員ですが、ソロとして外に出てしまえば僕個人一人として観客は見てくれます、そして、勿論著しく逸脱するわけではないですが、自分の思うがままに表現をして演奏をすることは、とても気持ちが良かったのです。

作中の言葉を借りて表現するなら、「曲は、僕を描いていた」、言葉として表現することは、自分の文章力だと難しいですが、そうやって生きていくやり方もあるのだなと、この本を読んで感じました。

 

ここまで自分の思ったことを、文として書きましたが、正直言いたいことをかけているのかは全くわかりません。僕の感性が他人とズレている、と言われたらそこまでです。

この物語では、『線』を『命』として描き、また『命』を構成するものに『線』として描かれています。

ですが、これは水墨画だけに言えることではなく、その他全ての芸術に言えることではないのでしょうか。

 

岡本太郎さんの有名な言葉で「芸術は爆発だ」というものがあります。

これは、「芸術とは人々の生きがいであり、喜びである」という言葉から、この世に生み出される芸術作品とは、人々の生きる様、命を、そして爆発させた喜びというものを表現したもの、と僕は解釈しています。

芸術とは本来、ただ右にならえで模倣するだけのものではなく、自分の命を表現するためのものではないのか、と僕は思っています。

 

勘違いされるといけないので書いておきますが、別に模倣が悪だとは思っていません。

僕は趣味程度に絵を描きますが、何も見ずには駆けません。こういったものが描きたい、と思った作品を手本として、その中で自分らしさを出して描いています。

何かを模倣しなければ、新しいものを生み出せないこともあります、温故知新、ってやつですかね。

 

さて、思ったこと書きたいことをそのまま書いていってしまったために、文字数が過去最高になってしまいました。

恐らく学校の読書感想文だと、もう少しわかりやすくまとめろ、と突き返されてしまいますね。

でもそれでもいいのです、自分の感じた事、考えたこと、それを表現するこの感想文も、一つの芸術だと僕は思います。

ここに綴られた文字の一つ一つが、結びついて、僕という人間を構成しているのです。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

また明日お会いしましょう。

『コンビニたそがれ堂 小鳥の手紙』村山早紀 読了

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今日は再び、大好きな村山早紀先生の作品から『コンビニたそがれ堂』シリーズです。

最新作が発売となりましたね!といっても、僕の住処は、関東圏から離れているのですが、お店に並ぶのは数日遅れてからです、買いに行けるのが凄く楽しみです。

 

『コンビニたそがれ堂』シリーズとは、というのは前回の『コンビニたそがれ堂 神無月のころ』で書いているので、省略します。

『コンビニたそがれ堂 神無月のころ』村山早紀 読了 - 怜士の本棚

 

今回の物語は、『コンビニたそがれ堂』がメインとなる二作と、番外編として『百貨の魔法』で登場した星野百貨店とコンビニたそがれ堂の2つの魔法が登場するお話が収録されています。

中でも僕が好きなのは、副題と同じ『小鳥の手紙』というお話です。

 

『小鳥の手紙』では、結婚を機に風早の街を去るという女性が主人公のお話です。

彼女は早くに母を亡くしましたが、魔法の力、というものを信じていて、その魔法の力で遠くに旅立ってしまった『母』と文通をしていました。

これはもう早々にネタバレをしてしまいますがら『母』として手紙を送ってきてくれていたのは、彼女が『魔法のポスト』だと思っていた小鳥の箱の持ち主である一人の女性でした。と、いう事をあの時の幼い子供に告げることは無く、持ち主だった女性とは別れを告げます。

たそがれ堂の店主である風早三郎からは、「言わなくてよかったのですか?」と聞かれるのですが、彼女は「そんなこと話したら、きっと夢から覚めてしまうわ」と答えました。

その女性の台詞がとっても好きなんです。

なんと言えば良いのか、上手く表現の仕方がわかりませんが、いつまでも夢を見続ける、ではありませんが、不思議な出来事を『魔法だ』といってしまうと、なんだかふふって笑いたくなってしまうような暖かな気持ちになりませんか。

もっと現実的に言えば、いい事があった時に「おっ、今日はツイてるな」と思うような気持ちに似ているのでしょうか。ポジティブに考えて生きていくことによって、目の前にある真っ暗な未来に、光が差して来るような気がします。

最近は暗いニュースが多いですので、ちょっとだけでも、魔法の力を信じて前向きにいきたいものです。

 

最初の方でも少し話しましたが、3月25日に、最新刊『コンビニたそがれ堂 花時計』が発売されます。

そして、僕の住んでいる地域では書籍は発売2日後ぐらいに入ってくるので明日(3月27日)頃でしょうか。

それで少し悩んでいることが、サイン本を買いに行くか否かです。

正直もう気持ち的には何日に入荷するのかを知っているので、買いに行く予定です。ただ、その書店までがそれなりに距離がある上に、月末に引越しを控えているのでかなりギリギリスケジュールです。

その書店さんで、僕が唯一持っているサイン本は、同じ村山早紀先生の『はるかな空の東』と『西郷どん』を買わせて頂きました。

実を言うと、『桜風堂ものがたり』で書店のお話を読むまで、サイン本、というものがある事を全く知りませんでした。

Twitter村山早紀先生をフォローさせて頂いた後、先生の宣伝でその書店(確か当時は本店のみだったような気がします)でサイン本を扱っている、という事だったので取り寄せて貰いました。

なんでサイン本に拘るのだろう、って感じですが、好きな本で好きな作家さんのサインの入った本を持っていたら、気持ち的にお守り代わりにでもならないかなぁ、っていう、まあ言わば魔法の力を信じてる、みたいな感じですかね。

 

この感想文の最後にこんな事を言ってしまうのはあんまり、よろしくないような気もするのですが、最近連続で暖かい物語を読みすぎてしまったせいで、ちょっと心が幸せ飽和状態です。

そうなってしまうと、真逆の本を読みたくなってしまうので、最初に読んだ時に、ちょっと怖いな、って思った本を探して買ってきました。

今ちょうど読み終えたのですが、やっぱりなんだか後味悪いミステリーでした。いい意味でですよ。

あとは最近は近代文学を読んでいなかったので、久々に手を出してみようかなぁ、とは思うのですが、引越しで持って行ける本は限られているので、厳選しなければなりません。これが悩むんですよねぇ…。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

また明日お会いしましょう。

『心霊探偵八雲9,10』神永学 読了

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いよいよ『心霊探偵八雲』シリーズもラストスパートです。

今のところシリーズの中では1番心に刺さりますが、優しさもある、と言った感じのストーリーでした。

 

心霊探偵八雲9 救いの魂』

八雲は、かつて高校の同級生だった蒼井秀明の妹の生霊を目撃した。

彼女は八雲に「深い森」と訴えていたが、その真意はわからなかった。

それと同時に、警察を懲戒免職され、心霊絡みの探偵をしていた後藤の元に、遊び半分で樹海に入った後、死体を発見してしまい、その後電話がかかってくるようになってしまったという、大学生からの依頼が入り込んだ。

そしてその樹海では、両眼の赤い男の目撃情報があるというー。

 

心霊探偵八雲10 魂の道標』

宿敵・七瀬美雪に左眼を傷つけられ、魂を見ることが出来なくなっていた八雲は、自分の存在価値を見失っていた。

そんな時、妹の奈緒が何者かに取り憑かれてしまい、行方不明となってしまう。

奈緒に取り憑いた魂の正体とは、そしてとあるマンションで起こっている心霊現象との関わりとはー。

 

9も10も、中々キツイなぁ、と思ってしまうお話でしたね。

少しネタバレにはなってしまうのですが、心霊現象を追っていく道中で、八雲は樹海へと連れ去られ、放置されてしまいます。

察しのいい方は既に気づいておられるかと思いますが、樹海とは青木ケ原樹海、所謂自殺の名所と言われているところです。

自殺、という選択肢をとってしまう方は、深い悲しみ、強い憎しみ、とても常人が推し量る事が出来ない程の失意の底に沈んでいます。

そんな状態で亡くなった方々の、無念の魂がさまよい続ける樹海に、死者の魂を見ることができる八雲が立ち入ってしまったらどうなるのか。

僕達のような、現実世界に生きる人間には分かりにくいとは思いますが、街の中の喧騒が制御する事も出来ずに、どんどん耳の中に流れ込んでくる状況とでも言うのでしょうか。耳を塞いでいるはずなのに、それすらも突き抜けてくる騒音、きっとこれだけではないでしょう。

これはヒロインである晴香が時々「八雲君は優しい」と口にしています。作中でこそ、無愛想な人間といった感じに描かれはしていますが、彼の根の部分は、彼女が感じているように「優しい」のです。

それ故に、樹海での死者達の失意の叫びというのは尚更彼の心を蝕んでいったのではないでしょうか、まあ、あくまで僕の勝手な推測ですけどね。

 

また、10巻の物語では自分の存在価値について語られています。

八雲は自分が「見える」眼を持っているからこそ、それを利用する人間がいて、自分の価値というものは「赤い眼」だけしかない、と思っていました。

でも正直、自分が人間として好んでいる人間に、「僕とつるんでいるのは周りの目がそうしろと言っているからだろ」とか言われると、凄く悲しいですし、なんでそんな事を言うのか、と憤慨したくもなります。

というのもまあ、僕が似たような経験をしているから、というのもあるのですが。僕の場合は八雲側です、当時仲がよかった友達に似たような事を言ってしまって、後から思い返してみれば、学校が別になっても一緒にいてくれている友達にそんな事を言うのは凄く失礼ではないかと思って、すごく反省しています。

正直、僕の自分に対する存在価値や自己評価は凄く低いです。

ですが、その中で数少ない友人達がいてもいいんだよ、と言葉に出しては言いませんが、笑顔で迎えてくれるので、どうにか今日も存在していられるような気がします。

 

キャラクター文庫にあたる本は、純粋に娯楽だけの本だと思っていたので、まさかこんなに重い話になってしまうとは思いませんでした。

孤独を恐れるが故に、孤独を愛する、何かしらで傷ついた人間は、そうやって防衛する事で生きていこうとしますが、実際、人間は孤独では生きていけません。

どこかで誰かが、気づいていなくても、自分を支えてくれています。

 

なんか説教臭い感じになってしまいましたが、実際これは僕から自分に向けた説教みたいな感じです。

せめて人間らしくあろうとする僕から、現実を嫌う自分へのメッセージです。

 

9,10を読み終えて何日か経っているのですが、あらすじを見て11巻に手を出すのをちょっと躊躇ってしまっているので、『浮雲心霊奇譚』を読むか『ANOTHER FILES』を読むか、はたまた別の本を読んでからにするのか。

ちょっと今、読書の手が止まっているので全く違うテイストの本を読んでお口直し、でもいいですね。

 

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

また明日お会いしましょう。

 

『心霊探偵八雲7,8』神永学 読了

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さて、また『心霊探偵八雲』シリーズに戻ります。

気がついたら本編にあたるシリーズも残り三冊ですね、番外編みたいなお話の本も買っているので、こちらは今までの積読を消費し次第手をつけて行こうと思っていますので、よろしくお願いします。

 

心霊探偵八雲7 魂の行方』

ある日、晴香の元に、かつて教育実習で担任をした小学生・大森真人から連絡が入る、「友だちが神隠しにあった」

そして、前回逮捕された七瀬美雪を乗せた車が事故にあい、彼女が行方不明になったとの知らせが入る。

真人を救うため、信州へ向かう八雲たち、そこで目にしたものとはー。

 

心霊探偵八雲8 失われた魂』

八雲が目を覚ますと、目の前には血塗れの遺体、血塗れの手、その八雲の前に現れた制服の少女の幽霊は呟く、「赦さない」

犯人の疑いをかけられた八雲は警察に追われることになった。

その事を知った晴香は、八雲が何かの事件を追っていた事を知った。

果たしてこの事件の真相とはー。

 

個人的には『心霊探偵八雲8』の方が好きです。

探偵、というより事件を解く側、主人公が犯人に疑われるなんて中々ないですよね。

主人公を犯人とする以上、それなりのトリックが必要ですしね。

まぁ、たまに叙述トリックで作者本人に騙されることは多々ありますけどね…。

 

いよいよ謎に包まれていた両目が赤く染まっている男・八雲の父親についての謎に迫っていく展開です。

そして、なぜ七瀬美雪があんなにあの男に執着するのか。これから先も楽しみですね。

 

心霊探偵八雲』シリーズを読んで、結構面白かったので、同じ神永学先生の作品である『浮雲心霊奇譚』シリーズも買ってみました。

と言ってもまだ読みたい本が幾つかあるので、積読にしている状態です。

結構散歩感覚で本屋さんに足を運ぶので、その度にこの本面白そうだな、と思ってどんどん買っていくので、ヘドロのように本が溜まっていきます…。

多分そうやってやっているうちは、未読の本が積もりに積もっていってとんでもないことになっていってしまいそうです。

 

そうやって、本を大量に溜め込んでしまう癖のせいで、やらかしちゃったエピソードを一つ。僕は大学に進学する時に実家を出たのですが、その時に大量の本を動かすため、本棚の中を片付けて移動させたのですが、かつて本棚を置いていた床をよく見ると、たわんでいました。

その事を黙ったまま実家を出たので、両親は知らないですし、今はきょうだいの部屋になっているので多分この先もバレないとは思いますが、まあ、怒られそうですよね…。

結構本好きの方で床抜いてる方いらっしゃるんですよね、今後住む家ってのは基本的に賃貸になるので、その家の床をぶち抜かないようには気をつけたいです。

 

今日も最後までお読み頂きありがとうございます。

最初の方で本編シリーズとしては残り3冊と書いていましたが、9,10は読み終えているので実は残りは11巻のみです。

ちょっと休憩がてら『Another files』を読んでから手を出すか、悩んでます。

というより、今ちょっと連ドラを見ている影響もあって読書ペースが落ちてます、このドラマが結構面白いんですよね…。

ではまた明日お会いしましょう。

『かなりや荘浪漫 廃園の鳥たち』村山早紀 読了

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今日は先日の分と入れ替わってしまった『かなりや荘浪漫 廃園の鳥たち』です。

この本は元々、集英社オレンジ文庫さんから販売されていたものをPHP文芸文庫さんから再出版されたものです。

僕も前に出版されていた方を持っていましたが、げみさんの素敵なイラストの表紙に変わったことと、番外編も収録されていましたので、新たに購入し直しました。

好きな作家さんの本だと、新装版とか出ちゃうと買いたくなってしまいますよね。

 

かなりや荘浪漫とは。

母子二人で懸命に生きてきた主人公・茜音

しかし、ある出来事のせいで自分の住処をなくしてしまった。

困り果てた茜音が辿り着いたのは『かなりや荘』という古い洋館アパートだった。

そのアパートに住んでいる暖かい人々と交流していくうちに、茜音は大きな決意をすることとなった。

 

この物語の中に登場する表現で1番好きなのは、『かなりや荘に集まってくる人々は小鳥のようだ』という表現です。

大空に羽ばたいたのはいいものの、その羽を休めることは出来ず、疲れてしまった人々が体を寄せあって休める大木のような場所。

かなりや荘の主人・マダムは、そんな人々を暖かく迎え入れる。

今の現代社会では、こんな風に休める場所はない、と思います。

現実にも羽休めが出来る大木があればいいのに、と思うのですが、実際その大木と言うのがこういった暖かい物語なのだと僕は思います。

 

あくまで僕個人の意見ですが、心温まる物語を読むと、心が疲れていても、じわじわと暖かくなってきて、自分の事ではありませんが、自分の事のように幸せに感じることがあります。

僕の本を読む、という行為には現実逃避が含まれていますが、村山早紀先生の作品は、どっちかっていうと物語を消費する的な意味で読んでいるような気がします。

その物語を消費して幸せな気持ちにさせてくれるのだから、読書というものはやめられないのです。

 

この物語では、漫画もとい絵といった形で芸術が出てきますが、芸術を1つのモチーフとして描いている作品って、芸術分野のどれでも置き換えることが出来るんですよね。

この文章を書いている今(3月21日現在)、本屋大賞ノミネート作品の一つ、『線は、僕を描く』を読了しています。

詳しい感想は後程書くのですが、この2つの作品を通して、何となく不明瞭だった『芸術』とは一体なんなのか、ということの端っこの部分だけ見えたような気がするのです。

他にも『遺跡発掘師は笑わない 縄文のニケ』という作品で『土偶』において、岡本太郎先生の有名な言葉『芸術は爆発だ』というくだりが出てきて、そこでも『芸術とは』と考えていました。

自分の中で『芸術』というものの何たるかを掴めそうなのですが、自分の手をすり抜けて言って、中々言葉で表現するのが難しいのです。

本当だったらこの後に続けてでも『線は、僕を描く』の感想を書きたいのですが、じっくりと考えたいので、言葉として紡げるのはもう少し先になりそうです。

 

芸術に携わったことの無い人からしてみれば、なんでそこまで芸術というものに肩入れするのか?と疑問に思われるかもしれませんが、まあ理由は簡単です、僕が結構芸術に携わる人生を歩んできたからです。

とは言いますが、技術だったり実力としては中の下です。

なのになぜ芸術をやるのか?という議題についてはまた次の機会にでもお話しましょう。

 

なんだか長くなってしまった上に、論点ズレてるっていうのは自覚しているのですが、実はこれ、僕が書きたいことのまだまだ序章にあたる部分なんです。

おそらくこの先も、はっきり答えがわかることはないような気がしますが、どこかで一度区切りをつけたいですね。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

さてさて、明日からは再びシリーズものに戻ります。

前にも書いたような気がしますが、シリーズものを連続で書いてしまうと、僕が飽きちゃうような気がするので間を空けて投稿しています。

ですが『十二国記』や『守り人』シリーズは大河なので連続で投稿することになると思います。まだまだ先の話ですが。

ではまた明日お会いしましょう。

『medium 霊媒探偵 城塚翡翠』相沢沙呼 読了

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やられました、作者の掌の上で思いっきり踊らされました。

色んな書店で凄く推されているので、そんなに面白いのかなぁと思ってましたが完全にやられました。

 

この感想を書いているのは、読了してから一夜明けてからなのですが、読み終わったあとの脱力感が凄かったです。

正確には読み終わったあと、というより最終章に差し掛かった辺りからでしょうか。

この本の一番の魅力というのがネタバレなしには語れないので、最後の方にネタバレを含んだ感想を書いておきます。

ただひとつ言えることは、表紙を見て買った読者は、その時点で作者のトリックの中です。

 

先日までの僕の記事を見て頂けたらわかると思うのですが、僕は『心霊探偵八雲』を読んでいました。

正直言ってしまえば、こういった類のミステリーというのは、現代的、というか硬派な推理小説ではないと考えています。

最初の方を読んでいるうちは、この本も恐らくそういった類に入るのだろうなと思っていました。

しかし、その考えは甘かった。最後にとんでもない出来事が待っていました。

出来ることなら記憶を消してもう一回読みたい…!いや、真実を知っているからこそもう一度読むべきなのか?

ミステリーは1度読み終わった後に、自分で確認しながらもう一度読むっていう楽しみがあるからいいですよね。

 

さて、ここから下はネタバレを含む感想です。

数行空けた後に書いていきますので、読みたくないって方はブラウザバックでお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

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帯で衝撃展開!作者の掌の上だった!と書かれていましたので、最終章の前で一旦休憩を挟んで、どうなるのだろうと思考を凝らしましたが、主要人物が犯人という展開には驚かされました。

恐らく気づく人は気づくのでしょうが、僕は作者に騙されましたね。

それを踏まえて今までの話を思い出してみると、確かに不自然な点はいくつか見受けられます。

一番あれ?って思ったのは三話目の『スカーフ』のくだりです。

2人目の遺体が見つかって、着衣に乱れがあった、とはありましたが、セーラー服を脱がすだけならスカーフは外す必要はないのです。

殺害に使われたものはスカーフだと言われていましたが、使われたスカーフは被害者のものではなく、犯人の私物、だとしたらスカーフが外されているのはとても不自然です。

まぁ、でも読み終わって言ってしまったらただの後出し孔明です。正直読んでた時は一瞬気に留めただけで読み進めてしまいましたので、気づかなかったも同然です。

 

そういえば似たような小説で『ジキル博士とハイド氏』がありますよね。

あれは表と裏の人格ですし、作者による叙述トリック的なのはなかったはず(最後に読んだのが2年くらい前なので詳細には覚えてないです、すみません)ですが、何となく似ているな、と感じました。

主人公が多重人格という訳では無いのですが、名前を使い分けているため、そんなイメージが湧いてきました。

 

そして終章、あえて今まで第三者であった千和崎さんが語り手として出てくるのがいいですね。

城崎翡翠が語る訳では無い後日談、真実は彼女のみ知る、中々想像を掻き立ててくれるものでした。

彼女は正体を顕にしましたが、結局のところの彼女の芯の部分は誰も知ることが出来ない、それが城崎翡翠という女性の魅力を更に掻き立てています。

 

というより、先日の記事を見ていただいたらわかるのですが、僕は直前まで『心霊探偵八雲

を読んでいました。

それ故に、同じ『心霊』というテーマが出てくるために、余計に信じ込んでしまう要因となってしまいました。

直前に読む本は考えて読んだ方がいいですね…。まあ、反省はしていません。

 

 

さて、珍しく堂々とネタバレをしながら語ってしまいましたが、前述の通りこの物語の真の魅力はネタバレなしには語れませんし、語りたいが故に多くの人々に目を通して欲しい作品です。

最近はちょっと生ぬるい感じのミステリーでぬくぬくとしていたので、いつも以上に衝撃がありましたね。帯に偽りはなかったです。

この後読む本は積読を潰しつつ、本屋大賞ノミネート作品で気になっているものを読んでいくつもりですが、あらかた片付いたらまたこういう本にも新たに手を出したいですね。

似ているかどうかはわかりませんが、今は『屍人荘の殺人』が気になっています。

 

今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

明日はあまりの衝撃さに順番を入れ替えてしまった作品です。

この作品の衝撃が凄すぎてちょっとぼんやりしているかも知れません。

ではまた明日お会いしましょう。