怜士の本棚

不定期に読んだ本の記録や、感想を載せていきます。ファンタジーやミステリー系が多いです。たまに、日記のようなものを書きます。

『怪盗探偵山猫 鼠たちの宴』神永学

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引き続き『怪盗探偵山猫』シリーズ第三巻、『鼠たちの宴』です。

今作は前作までとは違い、短編集になっています。

失踪したバンドのリーダーを探すヴォーカル、姉の死の真相を探る妹、新興宗教の教祖、そして犬井刑事との因縁の相手とは……。

 

前述の通り短編集なので、それぞれのあらすじを語ってしまうと、かなり長くなってしまうので、今回はあらすじはおやすみです。

そして、この物語では、いつの間にか勝村が山猫の相棒的ポジションに昇格(正式に山猫も勝村も名乗ってはいませんが)しています。

恐らく十中八九、事件を持ち込んできているのは勝村なのですが、若干面倒くさがりながらも大金がある事をチラつかせれば食いつき、結局手伝ってくれる山猫とのなんとも言えないコンビがたまらなく好きなんですよね……。

十中八九、っていうのは一話だけ真相が定かではないお話があるからです。

新興宗教の教祖、と書いた物語だけは勝村が持ち込んだものなのかは不明なのです。その理由についてはネタバレになってしまうので言及しませんが、まぁ、お互いに利用されつつ利用しているんですよね。なのでこの短編の中では、このお話が一番好きです。

 

ところで、最初の方で書き忘れていた事があります。

神永学先生の作品のファンの方ならすぐお分かりいただけると思うのですが、他シリーズ作品からちょこちょこカメオ出演しています。

山猫だけに限定すると、『心霊探偵八雲』から後藤刑事と八雲、『天命探偵』から山縣、『確率捜査官』から御子柴が出ていたことを覚えています。抜けちゃってたらごめんなさい。

これは都合上仕方ないのですが、出版された年月が新しいものほど、結構カメオ出演していますよね。

カメオ出演はそこそこ好き嫌いあるみたいですが、僕は好きです。同じ時間軸で、他作品キャラが生きて動いていると、なんか嬉しくなっちゃうんですよね。それに別の語り手なので、普段と違う印象も受けられますしね。

 

最後に一つだけ余談を。

このブログが投稿されるのは4月10日ですが、書いているのは4月7日です。

4月7日が何の日かというと……、そう本屋大賞発表の日です!

本当は当日か翌日投稿の分に書出せばいいかな、と思ってたのですが、既に描き終えている部分だけで完結してしまっているので、いいかなぁと思ってまさかの3日遅れで書いています。

結果としては大賞は凪良ゆう先生作『流浪の月』でした。

僕が推していたのは『線は、僕を描く』は3位でしたが、自分の中ではこの作品が第1位です!

本屋大賞については前にちょっとだけ書いているので、よければそちらも見ていただけると嬉しいです。

『僕と本』その1 〜本屋大賞〜 - 怜士の本棚

『流浪の月』もちょっとだけ気にはなっていたんですけど、肌に合うかわからなかったので手を出していないです。

図書館で借りられるならそこで読みたいのですが、新型コロナウイルスの影響で図書館自体が閉館しているみたいなんですよね……。

早く終息することを祈るばかりです。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

また明日お会いしましょう。

 

P.S.凄く凄く余談なのですが、僕が緊急事態宣言が出されている場所出身なことにより、どうも2週間の外出自粛が決定してしまいそうです……。

引きこもるのには慣れてるのですが、外部から出るなって言われると自主的に引きこもるのはかなり違うので、ちょっとだけ先行きが心配です。

『怪盗探偵山猫 虚像のウロボロス』神永学

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今日は山猫シリーズ第二巻、『虚像のウロボロス』です。

ウロボロス』とは、自分の尾を噛んでいる蛇もしくは竜を図案化したものですが、意味としては「死と再生」「不老不死」「始まりと終わりのない完全なもの」というものがあります。

さて、この物語の『ウロボロス』とは一体何者なのでしょうか……?

 

突如として現れた、"悪人"に天誅を下す『ウロボロス』と名乗る謎の集団。

雑誌記者・勝村英男は、『魔王』と名乗る謎のハッカーから『ウロボロス』についての情報を知っているとのタレコミを貰い、現場に向かった。

なんとその現場には女性が倒れており、謎の男たちに襲われた勝村は気を失い、目が覚めると被疑者として拘束されてしまっていた。

途方に暮れる勝村だったが、その窮地から救い出したのは、怪盗・山猫だった!

果たして『ウロボロス』の正体とは、そして彼らの企みとは……。

 

大抵こういう探偵ものって、第一話で主人公が事件に巻き込まれて、探偵に出会って徐々にシリーズ化していく、というのが黄金パターンなので、イレギュラーな『怪盗探偵山猫』で次はどのように山猫が勝村の前に姿を現すのだろうか、と思っていたのですが、拘束場所からのハリウッド映画さながらの救出劇に度肝を抜かれました。

そして、このお話から新キャラクター・犬井刑事が登場します。性格で言えば単独で突っ込んでいくところが『心霊探偵八雲』の後藤刑事に似ているのですが、犬井刑事は基本的一匹狼です。己の見聞きしたことしか信じない、そんな男です。

『怪盗探偵山猫』では、物語の語り手が追われる側(勝村、この作品だと『魔王』)と追う側(霧島さくら、犬井刑事)で繰り広げられるので、両方の視点でどうやって事件が解決していくのだろうかと、かなり変わった楽しみ方ができる作品です。

 

このシリーズ一貫して山猫は「お前のやっていることは犯罪だ。やってしまった以上悔やんだって仕方がない、その責任をとれ」と言っています。

綺麗事言ったって所詮は犯罪者でしょ?って感じですが、実はこれ、結構的をえています。

犯罪でなくとも、やったことで得られた結果から目を逸らすのは卑怯者のやる事、やった以上は最後まで責任をもってやり遂げなければいけない。落とし前をつける、ってところでしょうか。

やっていることは犯罪ですが、山猫のこの一貫した考え方はすごく好きなんですよね。

 

ここまで話したところでちょっとだけ余談。

ウロボロス』と言われると、僕が最初に思い浮かべるのは2015年に放映されていたテレビドラマ『ウロボロス〜この愛こそ、正義。』です。

幼い頃に巻き込まれた事件の真相を探るべく、警察になった主人公と、裏の世界・暴力団で真相を追うもう一人の主人公がタッグを組んでいる、というドラマなのですが、今思い返してみれば、『怪盗探偵山猫』を好きになったのってこのドラマの影響ですね……。

このドラマもまた見たいなぁ、と思っているので『怪盗山猫』のDVDを買った後にでも探してみようかな。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

また明日お会いしましょう。

『怪盗探偵山猫』神永学

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さて今日からは今まで通り一日一投稿に戻って、これまでと同じ神永学先生作品より『怪盗探偵山猫』シリーズの感想文を載せていきます。

暫く神永学先生の色んな作品を読んできましたが、爽快感といいますか、スピード感があり一番ハラハラドキドキしたのがこの作品で、先生の作品の中で『怪盗探偵山猫』シリーズが一番好きです。

一番好き、なんですけど、完結してしまっているので続きがみられない、っていうのが少し悲しいような気もします。

 

怪盗と探偵なんて、相対語なのでどんなお話なんだろう、と考えながら読んでいましたが、その疑問を吹っ飛ばしてくるお話でした。

大金を狙い、そして大金を持っていた人間の悪行を警察に知らしめる、そんな盗みを行っている『山猫』。

ある日、山猫を騙った窃盗事件が起こる。その現場には、大金の持ち主の遺体が。

被害者のかつての部下だった・勝村英男は、事件の真相を調べていくうちに、謎の集団に襲われた。

彼のピンチに颯爽と現れたのは山根と名乗る謎のカメラマン、そしてその正体は『山猫』本人だった!

山猫本人曰く、『人を殺すのは主義じゃない』、被害者を殺した犯人は別にいることが発覚した。

その真相を探るべく、勝村は山猫に協力をお願いしたー。

 

あらすじを見るだけでわかる方もいらっしゃるでしょうが、犯罪者である山猫と一般人の勝村がタッグを組んで事件を解決していくという、かなり異色の探偵ものの物語です。

タッグを組む、とは言いますがどちらかというと勝村が山猫に持ち込んでいる、という方が正解なんですけどね。それで山猫もやる事はきっちりやってくるというから面白いんですよね。

しかも山猫が狙う金も、『汚い』方法で稼がれた金で、本人曰く『発覚が遅れたり、警察の操作の目を逸らすため』らしいのですが、彼の中の正義の為にやっているのか、さてどちらなんでしょう……?

この点もただの怪盗とはわけが違くて、窃盗は犯罪なのに、何故か爽快感を感じてしまうんですよね……。

 

4年ほど前に『怪盗探偵山猫』を原作としたドラマ『怪盗山猫』が放映されていた事をご存知ですか?

最近このドラマをやっていたな、というのを思い出したのですが、実はドラマ自体は見ていません。4年ほど前なので、部活に明け暮れていた時期ですね……、12時間近くも学校に滞在するとかいう、今思えばちょっと狂ってるような生活をしていたので見る暇なんてなかったですね。

話は戻りますが、調べてみると結構原作とは違うシナリオでやっていたみたいですね。それでもなんかちょっと1度気になってしまうと見てみたくなるのが、人間の性です。

引越しが終わり次第、近所の中古ショップを回ってみて、そこになかったら通販で買ってみようかな、と思っています。

基本的にドラマを見ない僕からしてみたら結構異常行動なんですけどね。

 

さて、これから6日間は『怪盗探偵山猫』シリーズの感想文です。

大好きなシリーズなだけに、なるべく愛を込めて、そして興味を持ってもらえるような文を書けるよう努力しますので、よければ最後まで読んでいってください。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

また明日お会いしましょう。

『浮雲心霊奇譚 菩薩の理』神永学

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浮雲シリーズより第三巻、『菩薩の理』です。

菩薩、と聞いて何を思い浮かべますか?地蔵菩薩とか六観音菩薩とか……。

褒め言葉として菩薩のような顔とかもありますしね。

基本的にはポジティブな意味の言葉ですが、果たしてこの物語の菩薩の正体とは……。

 

収録作品に『地蔵の理』とありますが、言葉のとおり、お地蔵さんの周りで起こった心霊現象のお話です。

と、言っても浮雲の解釈的には、地蔵菩薩はその地のエネルギーの現れであるだとか、道祖神が変化したもの、と考えているようで、人に害なすものではない、と語っています。

まぁ、お地蔵さん、と言われると、現代でいえば事故現場の魂を鎮めるためだとか言われていて、ちょっと不気味ですし、お地蔵さんはネガティブな都市伝説とかもあったりします。

僕も解釈的には浮雲に近いものを持っています。彼らはその場所から人々を見守るだけ、一番身近な存在の菩薩であると思っています。

 

まぁ、そんなこんなで時に信仰を集めるお地蔵さんですが、物語に出てくるお地蔵さんは、なんと首なし地蔵なのです。

普段は神仏を信じない方でも、日本で生まれ育った方なら首なし地蔵は少しやばいのでは……というのがわかるかと思います。

触らぬ神に祟りなしとはいいますし、しかも進んでお地蔵さんの首を落とすなど罰当たりな、というのは誰でもわかることですしね。

この首なし地蔵に纏わる心霊現象から、もう一人の闇に潜む、呪術師が浮雲たちの前に立ちはだかります。

さてその人物とは……是非とも実際に読んで確かめてみてください。

 

この本には3編収録されていますが、その中では『死人の理』が一番好きです。

身分違いの恋、というものが出てきますが、これを深いところまで追うと、既読の方なら何を言いたいのかわかっていただけるかと思います。

今でこそネタの一つとして取り上げられますが、当時の人々からしてみれば大問題です。

題材は違いますが、叶わぬ恋といえば『曽根崎心中』とかが有名です。当時の人々はどんなに好いていても、身分の違いや、家の決めた相手と結婚する事が多かったから、このような事件も起こってしまいました。

それ故に、八十八も伊織も苦悩しているわけです。

それを娯楽として読んでしまう僕もいますが、当時の人々を思ってやるせない気持ちになる僕もいます。

 

ここまで『浮雲心霊奇譚』シリーズの感想文を書いてきたのですが、実はこのシリーズに入った途端、文章が饒舌になってしまいました。

といっても理由は単純で、僕がただ歴史系が好きだから、っていうのがあります。でも、時代小説は読んでないから変わり者です。

まぁこれもちゃんとした理由があって、僕が好きなのはあくまで日本史、とされている大筋に沿っているもの、であってフィクションを付け加えた時代小説はあまり好きでは無いのです。

ただ、理由はそれなので、実は伝記とかは時々読みます。小学生の頃はまんが伝記とかを狂ったように読んでましたからね、その後歴史をやって杉原千畝とか津田梅子が全然出てこなくてびっくりしましたけど。

 

そうは言いつつも、実はようやく時代小説にも手を出してみるかな、と決心をしているところです。

といっても大河ドラマ原作の『西郷どん』と、コミカライズ版の『軍師官兵衛』辺りですが。

僕は誰かが書いたフィクションより、その人の生き様を、なるべく史実として知りたいだけなんです。

その代わり、大河ドラマとかでも史実かフィクションか、を調べて見抜かなくてはいけないですけどね。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

また明日お会いしましょう。

『浮雲心霊奇譚 白蛇の理』神永学

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浮雲シリーズ第四巻、『白蛇の理』です。

これまで単行本版で書いてきましたが、ちょうど文庫本版が並んでいたので、この本だけ文庫本です。

場所をとらない、って意味では文庫本版が気に入ってるのですが、読みやすさでいったら単行本版かなぁ、と思って最近はもっぱら単行本版を買っています。

その代償が場所をとる、なんですけどね……本棚増設しなくちゃいけないかなぁ……。

 

さて、タイトルにも入っている白蛇さんですが、白蛇さんを見たことはありますか?

僕も2回ほど見たことがあって、そのうち一回は何故か膝の上に置かれて触ってしまうことになりました。

恥ずかしながら田舎育ちのくせに、蛇だとか昆虫だとかの類はあまり得意ではないのです。蛇がいる、っていう事実には驚きませんが、マムシだった時が怖いので近寄りたくないです。マムシは家の近くにいたので尚更です。

白蛇さんですが、メディアなどで見る機会も多かったので、特に珍しい、という感じはしませんでしたが、綺麗だな、とは思いました。

触った時も、ひんやりしているのかな、と思っていたらそこそこ暖かくて、ちょっとビビったのも覚えています。遠慮しようと思ったんですけど、せっかく来たんだからと押されて触ることになってしまいました。怖かった……。

今でこそ、白蛇さんは白化現象を起こした蛇って事はわかりますが、何も知らない昔の人々は、こんなに美しい蛇は神様の使いに違いない、と思ってしまうのも頷けます。その魅力は、確かにありました。

同時に畏怖する存在である、とも理解出来たので、『白蛇の理』という話は中々面白かったですね。

 

あとがきで神永学先生が述べていたのですが、このお話には『白蛇』『猫』『狐』という動物がモチーフの心霊現象が書かれています。

『狐』といったら、皆さんご存知お稲荷さんとかそういったやつです。といっても、厳密にはお稲荷さんはここには登場しませんが。

昔から狐というものは何かと登場してきますよね。言葉でも狐につままれたとか、狐の嫁入りとか。

その中で狐を祭神としているお稲荷さんですが、この神社も色々怖い噂ありますよね。過去に狐を信仰対象としていたら、その子孫も祀らなくてはいけないとか、一番怒らせるとやばい神様は狐だとか。

この話はお稲荷さんの神主さんにでも聞かないと真相はわかりませんけどね。どちらにせよ、身近な動物であり、神様だった事には変わりありません。

なのでそのうち、『何故狐が信仰を集めるようになったのか』っていうのを調べてみたいなぁと思っています。大学の図書館にそういう本はあるのかな。

このお話に出てくる『狐』は一体何を起こすのか、是非とも読んで確かめてみてください。

 

さて、暫く2つづつ更新をしてきましたが、取り敢えずここで一旦1日1つのペースに戻します。

ですが、また凄い勢いで読み進めていっているので、近いうちにまた2つづつにしないとどんどん溜まっていってしまいます……。

理想の形としては、読み終えた後に感想文をすぐ書くってところなんですが、書くより読む方が楽なのでどんどん読んでしまうのが現状です。

ぼちぼちセーブしないとダメなんですけどね……。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

また明日お会いしましょう。

 

『浮雲心霊奇譚 妖刀の理』神永学

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浮雲心霊奇譚』シリーズより第二巻です。

妖刀の理、と言うだけあって察しの良い方なら、それが何ものなのかお分かりなのではないでしょうか……。

ちょっとした予備知識があるだけでも、本を読むのが楽しくなっちゃいます。

 

四の五の言ってないで、さっさと妖刀の答え合わせです。

日本で妖刀と言われる場合には、村正という刀を指します。

村正というのは室町・戦国時代に現れた、伊勢国桑名の刀工が打った刀です。

妖刀、と呼ばれる由縁になったのは色々ありますが、有名なものでは徳川家康が嫌った事があります。

なんでも家康の祖父や父など親族を斬り殺し、自らも村正によって怪我をしていた為、徳川家に仇なす刀として近づけず、家臣がその刀を使う時は銘を潰させたとか。

僕は村正の刀を何度か見たことはありますが、別にそんな感じはしなかったのですがね……、単に第六感がないのか、外様大名家臣の血を引くせいか。

その他様々な言い伝えによって、村正は現代まで妖刀として恐れられているのです。

 

話を物語に戻しましょう。

この本には短編が3編収録されていますが、その中で『禍根の理』が一番好きです。

大まかなあらすじとしては、沼に近づいた男二人が幽霊を目撃したーという話を八十八が浮雲に持ちかけるところから始まります。

紆余曲折あって、沼に現れる幽霊の招待を突き止め、憑き物落としを始めるシーンからが僕のお気に入りのシーンです。

 

沼に現れる幽霊、その人は男性で、殺された後にその沼に沈められていました。

その男性には妻がおり、その妻が男性に声をかけます。 「あなたが戻ってこない時点で、もうこうなることはわかっていた、もう諦めていた」と。

正直現代に生きる僕たちにはわからない感情です。夫が帰って来なくて、まさか斬り殺されてるなんてことは、平和ボケしている僕らには全く想像もつきません。

ですが、いくら江戸時代、太平の世となっても、人を殺めることができる道具を携帯している人間が闊歩している時代です。

そして就いていた職業的にも、斬られてしまってもおかしくない職業、帰ってこないとなればあぁ、殺されちゃったんだろな、と諦めに近い感情も湧き上がってくるのでしょう。

僕はこの女性の強さに、心を打たれました。

俗説には大河ドラマでは、女性をしっかりと描いている作品はヒットすると言われていますが、その理由がわかったような気がしました。

主人公だけを描くのではなく、その裏で支える力強い女性も描く、そうすることで、視聴者は感情移入がしやすく、心を掴むのでしょう。

戦国時代からは100年単位で違いますが、これがあの時代を生きる事なのだと、ありありと感じさせられました。

こういった美学、の話ではありませんよ、ただ単にこうやって生きている女性達が美しくありつつも、彼女たちが泣けないのならば、代わりに泣いてあげたい、っていう不思議な感情から来るものです。

 

最近、というか高校を卒業してからぐらいでしょうか。

それまでは感想文を書く、というのが億劫で仕方ありませんでした。

その当時は、ただ物語を消費していくだけの読書好きでしたから、この本は面白かった、こっちは面白くなかった、というだけの感情しかありませんでした。

ところが最近は、本を読めばかなり感情が揺さぶられ、ほわほわと幸せな気持ちになる時もあれば、衝撃的な展開に思わず声を上げたり、挙句の果てには涙をこぼす時もあります。

本当はカフェとかでも読んでみたいのですが、これがある故に外では読みたくない、と言うより、感じたままの感情をそのまま声に出してしまわないと自分が爆発してしまいそうなので、敢えて家で読書している、というのもあります。

なので、昔はあんなに億劫だった感想文を、今は寧ろ書きたい!そしてこの感動を他の人にも伝えたい、という気持ちで書いています。

人間、変わるものですね。

そしてそうなると、なんで真面目に読書感想文コンクールをやらなかったんだ、と後悔もします。

あれ、今思えば文集に載せられれば、気になって読んだ子におすすめの本を伝えることができますよね、なんて勿体ないことをしてしまっていたんだ僕は……。

 

まぁ正直、過ぎたことを悔やんでも仕方のないことです。

その代わり、誰が見てくれているかもわかりませんが、誰か一人の目にでも留まってくれて、この感動を分かちあってくれる人がいればいいなぁ、っていう軽い気持ちでこの感想文を書いています。

僕の長くて愛の詰まった独り言です。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

また明日お会いしましょう。

『浮雲心霊奇譚 赤眼の理』神永学

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今日からは神永学先生の作品より『浮雲心霊奇譚』シリーズです。

八雲のルーツを描いた作品で、作中の舞台は幕末、時代劇寄りの物語です。

僕は歴史は好きですが、歴史モチーフの物語は読んだことがほとんど無く、しかも幕末は日本史の中で1番苦手な時代です。

近代故に残されている史料も多いので、必然的に多くの事柄を学ばなければいけないので、頭が混乱します。どのくらい混乱するか、というと途中で尊皇攘夷派が誰なのかわからなくなるくらいです。

 

まぁ、僕の幕末苦手はさておき本編のお話に戻りましょう。

この物語は、主人公・浮雲と八十八という青年を中心として進行していきます。

作中で八十八が浮雲に対して「これほどまでに美しい瞳を見たことがありません」と言うシーンがあるのですが、八雲ファンなら思わず「あぁ〜!」と声を上げて、口元を緩ませてしまいそうな展開で、なんかもう、好きです。

感想文書いているくせに、語彙力が著しく低下してしまいます、俗に言う尊い、ってやつですよ。

この一言だけで、この作品を最後まで読みたい、って気持ちになりましたからね……。

 

そして2話目では、武家出身の女の子・伊織ちゃんが登場します。

この子がまぁ、可愛らしくて可愛らしくて、それなのに実は今作のナイト枠なんです。

可愛いのに勇ましく木刀を振るう姿……こういうのに弱いのでほんとにやめて頂きたい……とても好きです……。

根がオタクなので、こういう大好きな展開になった時に語彙力の低下が著しいのはお許しください、心からこの作品と出会えて良かったと思っています。

 

そして、この物語にも、浮雲の前に立ちはだかる強大な敵が登場します、その名は狩野遊山。

かつて狩野派にいたこともあり、狩野と名乗っていますが、果たしてその正体は何者なのでしょう……。

狩野派、といえば実在の幕府御用達の絵師集団で、室町時代から江戸末期にかけて活躍しています。

有名な作品だと狩野永徳の『洛中洛外図屏風』や『唐獅子図屏風』があります、確か二条城の襖絵も狩野派の絵師によるものだったような気がします。

知ってる名前が登場すると、ちょっと楽しくなっちゃいますよね。特に歴史系統だと尚更。

 

幕末の推理系のものだと、現代の技術のトリック的なのは使えないからどうなるんだろう……と思っていましたが、なるほど、寧ろ仕掛けが下手に凝ってないので寧ろ見やすかったです。

というより灰原薬先生作『応天の門』で、平安を舞台にしたサスペンスもの(こちらは心霊や妖といった類のものは全くないです)が成立しているので、問題はなかったですね。

というか、最近手を出している作品は、こういう少し歴史が混ざっている系が増えてきています、他にもなにか面白い作品があるといいのですが。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

また明日お会いしましょう。